発刊にあたって
                      泥川郷土会会長 菅生 四郎
 昭和四〇年八月、それまでお互いの消息もつかめないまま暮らして参りました泥川の人々が、一堂に会したのが、定山渓温泉の大虚荘(郵政共済会)でした。
 札幌近郊の有志が発起人となりそれぞれのつてを頼りに集まった人は三十八名、この時が樺太泥川会第一回で、我々にとっては今も忘れることの出来ない懐かしい想い出の第一歩でありました。
 それから、回を重ねること十四回(昨年)、発足以来二十八年の歳月を経て今なお、ますますその絆が強まっていることは、大変喜ばしいことでございます。
 発足当時は、泥川開拓に入った我々の父祖、いわゆる現役の人々が主役でありましたが、年が経つにしたがって一人二人と鬼籍に入る人も増えて参りまして、最近では泥川で生まれた二世組が主役になり、話題の中心も自ら幼き頃の想い出と変わっておるわけでございます。
 昭和五十八年の集会の時、皆さんの記憶が確かなうちに早く泥川史を作ろうと話しがまとまり、即、起草委員会を任命し発足いたしましたが、委員同士の居場所が離れ離れになっているため、原稿集めの仕事など連絡が思うようにならず、今回まで延び延びになったことを深くお詫び申し上げます。
 皆さんもご承知のように、全員が丸裸で逃げてきたのですから、泥川時代の事が記事になっているものが一切なかったわけです。幸いにして何人かの人々が肌身離さず持っていきた写真をお借り出来ることが出来ましたので、この写真を起点といたしまして泥川時代を復活させようと、無から有を引き出すのに委員の諸君が奮闘致しましたところ、この度ようやくお粗末でございますが、小冊子として陽の目を見ることになりましたことは万感胸に迫るものがあります。
 お待ちかねの皆様にはご満足出来る内容ではないかも知れませんが、念願達成と泥川会や、家、家、での話題の一助となれば幸いです。
 何はともあれ、我々の脳裏から永遠に消えることのない、生まれ故郷への憧れの記事が載っている泥川郷土誌の発刊を見ることが出来ましたことを心から祝福したいと思います。この本を、孫、子の時代までも大事に保存して置きたいことを願って私の発刊に寄せる言葉といたします。
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