あとがき

 ある日、突然、子や孫に
「ジイチャンの生まれた所は何処さ」と聞かれた。
「能登呂村」と答える。
「その村は何県にあるのさ」と聞き返す。
「樺太県」
「アレー、そんな県日本にあったかな!」
「ないはずだよ、今はロシア領土のサハリン州だよ」
「アッそうか、そしたら外国じゃないか、すごいジイチャン外国生まれか、外国の話しを聞きたいな!」
 こんな会話も落ち着いて出来るようになった年頃が余計に郷愁をそそる。
 昭和六十年のふるさと郷土会で、早く泥川史を作ろうよと意見が一致してより早八年、まごまごしているうちに、泥川の事など忘れてしまったら大変と腰を上げたのが遅かった。
 やっぱり、なかなか思い出せない。資料だ、資料だとあせって探し回った所が、札幌市豊平区の樺太会館、中央区の樺太関係資料館、江別市にある道立図書館、小樽の市立図書館、余市町立図書館などで泥川の匂いのする所は隈なく歩き回ったが、何処へ行っても泥川の活字はあまり見ることが出来ない。
 第一能登呂村関係の資料が皆無だった。
 「故郷は遠きにありて思うもの」とは、古里を離れ、古里を捨てた人々の言葉である。健康であり、金と暇があれば、古里を尋ね郷愁にふけることも出来よう。
 しかし、私達のように故郷を奪われ、逐われ、失った者にとっては、故郷は訪れることのできない異国の地である。喩え、尋ねることができても、偲ぶべき風物も語るべき人もいない、今浦島である。
 今や、五十年にもなる遠い昔を思い浮かべるが、忘却の彼方で糸の切れた凧同様記憶の糸がつながらない。何から書いてよいのやら、構想のまとまらないまま、ぼつぼつ集めたボロ布のような資料を繋ぎ合わせたらもしかして綿の入らないチャンチャンコができるかもしれない、そんな気持ちで取り組んでみた。
 初めての編集、もともと文才に縁のない我々にとっては、生涯の大事業にひとしかった。日時は予想外にかかったが、ようやくまとまったのがこの小冊子である。
 皆さんには、期待はずれになったかも知れませんが、資料不足だったので勘弁してください。
 ふるさと泥川は、ランプ生活で原始的であったかも知れないけれだ、恵まれた自然に囲まれ、伸びのびと自由奔放に暮らしたあの日を思い出し、楽しかったことだけを生きがいに、夢でもいいから泥川の原野を駆け巡ってほしいと思う。
 最後に皆さんから寄せられた多くの資料、貴重な写真、思い出の原稿など、また、発刊に当り特別ご協力下さった方々に紙面を借りて、厚くお礼申し上げまつとともに、会員各位の益々のご多幸をお祈り申し上げます。

 平成六年七月十日
       郷土誌「泥川を想う」編集委員 鳴海 一郎・野村 鉄子・ 鳴海 二郎・ 田中 茂
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