猿払電話中継所跡
昭和9年(1934)12月11日、北海道
と樺太を海底ケーブルで結ぶ東京ー札幌ー豊
原間の長距離電話回線が完成し、初めて樺太
と電話が通じるようになりました。
猿払電話中継所は、この海底ケーブル揚陸
地の重要中継所として、同年11月1日この
地に設置され、以来30年間大きな役割を果
たしてきましたが、終戦後樺太との通話がな
くなり、また札幌ー稚内間マイクロ回線の開
通により、その必要性がなくなり、昭和39
年(1964)9月30日廃所されたもので
あります。 |
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皆さん
これが最後です
さようなら
さようなら
昭和二十年八月十五日終戦。それから五日後の昭和二十年八月二十日
ソ連軍が樺太(サハリン)真岡上陸を開始しようとした。
その時突如日本軍との戦いが始った。
この日電話交換手である九人の乙女達は窓越しに見る砲弾のさく烈。
戦火と化した真岡の街、刻々と迫る身の危険。もうこれまでと決断、死
の交換台に向い「皆さん これが最後です さようなら さようなら」
の言葉を残し夢多き若き尊い花の命を絶ち職に殉じた。この思いを繋い
だのが当時電気通信の拠点として重要な役割を果していた「猿払電話
中継所」なのです。
平成十八年十二月十日
猿払ライオンズクラブ 二十一代会長 鳥谷部 徹雄 |
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