2007年8月21日〜23日 泥川(ウリャーノヴカ)キャンプ |
23日(キャンプ3日目、最終日) |
今日も一人で、太陽が昇らない内に起きて、東の空に赤味を差すのを待っていた。今日は、昨日に比べて少し雲が多いので日の出が見えるか心配だった。4時少し前から東の空に赤味が差して来た。それから、段々明るくなり、日の出の瞬間を迎える。 |
8/23 3:57 | 8/23 4:27 | 8/23 4:39 | 8/23 4:42 |
東の空に赤味が | 一段と明るくなる | 太陽の頭が | 日の出の瞬間 |
太陽が水平線から離れると、直ぐに、雲に隠れてしまう。隠れた太陽は、部厚い雲に穴を開け海を照らし、そして、壊れ落ちた泊尾橋に虹の掛け橋を架けてくれた。この虹は角度がありすぎ上の部分を写すことができなかったが、泊尾橋の南と北(基点)に掛かっていた。 この日の23日は泊尾神社の本祭りで、泊尾橋を渡れない先祖の霊が対岸に渡ったのかも知れない。 |
8/23 4:44 | 8/23 4:54 | 8/23 5:54 | 8/23 5:55 |
太陽が水平線上に | 直ぐに雲に隠れ | 泊尾橋に虹の掛け橋 | 基点に虹 |
まだ明けきらない泥川のパノラマを写す。古江の岬から花田番屋跡、泊尾橋、擂鉢山と写して行く。 |
←大 |
8/23 6:27 |
古江の岬 花田番屋跡 泊尾橋 擂鉢山 |
次に、スキー場の山、市街地の基点(壊れた櫓のある所)、その奥にフレップ畑、手前にキャンプ地と旧市街地が続き、遠くに菱取の岬を見て亜庭湾になる。 62年前は、ここから、砂岸段丘の上にツンドラが広がり、その一角にフレップ畑があり、海岸線と砂岸段丘に沿って整然と2本の道路がある市街地が見えたことだろう。 |
←大 |
8/23 6:27 |
スキー場の山 基点 フレップ畑 キャンプ地 市街地跡 菱取の岬 亜庭湾 |
亜庭湾には日が昇り、ロシア人の漁船とダンプカーがあった。ダンプカーは眩しい朝には山を向き、昼間は海を向いていることに始めて気が付く。 |
←大 |
8/23 6:27 |
ロシア人の漁船とダンプカー 亜庭湾 古江の岬 |
2007年8月23日 泥川(ウリャーノヴカ)⇒20km,2hr⇒キリローヴカ(雨龍浜)⇒30km,1hr⇒アニワ市(留多加)⇒40km,1hr⇒ユジノサハリンスク(豊原) |
お別れに、泊尾橋を写し、車の前で集合写真を写し、泥川を後にする。鉢子内川を渡った所に伊藤さんの知り合いの漁師(カニをくれた)が居るので、車から下りて、みんなでお礼を言い別れる。鉢子内の漁師は菱取岬の定置網の所まで先導して、車が通れるように網を処理していた。その間、凪いだ海面に向けて、小石を投げ「水切り遊び」をしていた。 |
8/23 6:35 | 8/23 8:09 | 8/23 8:22 | 8/23 8:37 |
泊尾橋に別れ | 集合写真 | 鉢子内の漁師 | 菱取岬の崖 |
タンボーヴカ(菱取川)まで行く間に二つの滝がある。川の字に落ちる「三本の滝:今回寄らなかった」、もう一つは「二段の滝」だ。トラックは海岸線ぎりぎりか海の中に入って走る。来し方を振り返ると泥川はもう遠くに去ってしまっていた。再び、二段の滝へ寄って休憩する。菱取まで来ると泥川から雨龍浜までの約半分の行程だ。親不知は砂浜から一転して岩場になり、海岸線に岩が現れる。 |
8/23 8:40 | 8/23 8:51 | 8/23 8:54 | 8/23 9:07 |
海岸すれすれを | 泥川が遠のく | 二段の滝 | 親不知の海岸 |
次に、今回、是非寄りたかった「芳内」に下りる。芳内は泥川の人たちが樺太を脱出した最後の地点だ。相棒もここから漁船に乗り脱出した。花田姉妹はそんなことが無かったかのように、笑顔で芳内に来れたことを喜んでいた。泥川は遥かに遠くになってしまっていたが、泥川から良く歩いて芳内まで来たと思うが、相棒の両親は、更に、遠い芳内(泥川からの3倍以上の距離)からロシア兵に見付からないように、夜がけし藪を漕いで歩いたことになる。現地に来て本当に遠いことを実感した愛棒は、亡き両親に改めて感謝の気持ちで一杯だったようだ。これが、62年目の感謝だった。 雨龍浜の国境警備のゲートを越えて、浜から内陸に入る入口で休憩をする。国境警備隊は目の前にあるが、遠目で見るのみだったが、内陸に入る道路の入口から雙子山(ふたごやま)が見えるので写して来た。何度か写している内に軍のトラックが来たので慌てて戻る。 |
8/23 9:25 | 8/23 9:26 | 8/23 9:40 | 8/23 9:42 |
芳内 | 泥川は遥かに遠く | 雨龍浜 | 雙子山 |
再び、雨龍川を渡り左岸の岸辺に伸びる踏み跡を辿って見る。田畑さんは雨龍の吊橋の位置を特定したいようで、上流へと足を運んで行く。電話線が川を渡っている更に上流で川幅が狭まるところ辺りに吊橋があったようだった。 小休止の間に、伊藤さんがウラルの下の写真を写していたので、話しかけるとデフとミッションの位置が縦で、下からの衝撃に強いとのことだった。私も記念に1枚写す。田畑さんが丘の上で雨龍を見回したいと言うことだったので、海が見える峠に停車する。 |
8/23 9:54 | 8/23 10:00 | 8/23 10:04 | 8/23 10:12 |
雨龍川 | 雨龍川の橋の跡 | ウラルのデフとミッション | 海が遠のく |
道路の法面を見ると、こんな所にも砂埃にまみれて「ゴゼンタチバナ」が赤い実を付けているのにはびっくりした。この実を見て、山ジンタンだと口を揃えて言う。ジンタンの謎が解けた瞬間だった。 田畑さんのリクエストで留多加川(アニワ)に架かる橋の袂で停まり、田畑さんは写真を写していた。私は田中さんと昔木の橋があったと言う橋を探してみた。木の橋だったので、跡形も無いと思うが、川岸にある棒杭辺りが橋だったようだ。河口には珍しく、牛がのんびりと横渡っていた。 ユジノサハリンスク(豊原)のホテルに戻り、早速シャワーを3日ぶりに浴びる。最初しかお湯が出ないので、一気に体を洗う。内山さんは最初のお湯に騙されて、水風呂に入ったようだ。さっぱりして、市内観光と洒落るが、今回は時間が無いので、お土産を買う人は困ったようだ。前回、閉館だった博物館に入ると、2階が改修中で入ることが出来なかった。ここで、「マイズルソウ」の実を見て「山グスベリ」だと言う。更に、「ツルコケモモ」の実を見て「ハゲッペラ」だと言う。これで、実の謎が総て、解明したわけだ。 |
8/23 10:15 | 8/23 10:56 | 8/23 10:59 | 8/23 14:43 |
山ジンタン | 留多加橋の跡? | 牛が横たわる河口 | 博物館 |
ユジノサハリンスクは前回来た時よりも、自動車が多く活気に溢れていた。特に、日本車が大半だったことは凄く親近感を持った。時折、箱車が日本の看板をそのままにして走っている。 買い物が終わり、市内のレストランでお別れ夕食会をすると言う。また、バスで出かけ、地下のレストランに入る。泥川団は最初の方に到着したので、良さそうな所に陣取る。写真はフラッシュを焚くと電池の消耗が心配だったので、使わなかったら手振れやボケになり、皆さんの美顔がすっきり写らなかった。 |
8/23 15:51 | 8/23 17:10(大×) | 8/23 17:10 | 8/23 17:11 |
活気の溢れた市街 | 夕食会 |
夕食会の挨拶は、前回よりも短く、直ぐに宴会が始まった。始まったと思ったら、民族衣装に身を飾った民芸団が現れ、歌と踊りも始まった。泥川団の安着祝いの乾杯も力一杯だった。また、来るつもりらしい。ビールが来ないので、フレップジュースにウォッカを入れて飲む。赤ワインも来たので飲むと言うわけで、分けが分らなくなりかけた時に、後から引っ張られる。良く見ると、民族衣装を着た女性だった。私の手を取って、引っ張り出され、輪になって踊る羽目になる。フォークダンスなんて何十年ぶりだったろうか? 夕食後、相棒の叔母の部屋で二次会をする。泥川のみなさんは今回も大満足だったようだ。その後、ノマドの伊藤さんがようやく来たようだが、私と山内さんは不覚にも二次会で寝てしまう。何時もの事ながら、みなさんは良く飲み、食べ、夜更かしをしているが自分の年を忘れているのではと思う。 |
8/23 17:12 | 8/23 17:33 | 8/23 18:18 | 8/23 19:31 |
夕食会(大×) | ロシアの民芸団 | 無事を祝って(大×) | 二次会(大×) |
24日の帰国へ続く |